幽霊部員の改心
今週のお題「部活」
運動が大嫌いな私ですが、中学の時に卓球卓球の🏓をやってました。といっても、その中学の卓球部自体強くなく、市内の予選を通過できればいい程度。あまり真面目に取り組んではいませんでした。
顧問の先生も月に一度顔を出せばいいくらいで、上下関係も緩く、運動部なのに「体育会系」な部員も少なかったです。
中学2年の頃には、すっかり私は幽霊部員👻 せいぜい大会前にちょっとだけ練習に参加してはまた幽霊。何かするワケでもないのに、早く家に帰ってダラダラ過ごしてました。そんな日々が1年間続いてました。
中学2年の終わりの大会の時、市内の3回戦で負けた同級生のジュンが急に無口になり、中学校に帰って体育館で部具の片付中も何も話しませんでした。いつもなら他愛のない無駄話をワイワイするのに。
周りも彼の変化に気付いていたので、気にしてましたが敢えて話しかけませんでした。
そしてその日は解散。
他の同級生たちとダベリながら通学路を歩いていると、私はよりにもよって体育館に忘れ物をしたことに気が付きました。
「最悪、、、学校から家まで半分くらいのとこまできたのに、戻らんかよ」
1kmはあるので気分だだ下がり。でも取りに行かないワケにも行かず、仕方なくトボトボ学校まで戻りました。そして体育館へ。そこで私はこの後の自分の人生に影響を与える出来事に遭遇しました。
体育館の部室前に立つと、中から何か声にならないような音が聞こえるのです。すっかり遅くなった学校の体育館。“こんな時間まで誰かいるのか?“と不思議に思い、私はしばらく部室前で立ったままでした。耳を澄まして聞いていると、やはり人がいます。しかもすすり泣く声です。忘れ物を取らないワケにもいかず、すこーしだけ扉を開け中の様子を見ました。中に居たのは同級生のジュンでした。ジュン一人だけでしたが、試合後からずっと無口だったのも気になり、、、そのまま様子を見てました。すると、「あんなに頑張ったのに、、、」「勝てなかった」と自分を責めるような独り言を言っていた。
後で聞いた話しでは、ジュンは今まで真面目に部活に取り組んできたワケではないが、一度真剣にやってみようと考えたようでここ数ヶ月の間、大会に向けてひとりで必死に練習してきたらしい。必死に頑張ったのに市内予選を勝ちきれず、ジュンは悔しくてひとり泣いていたのだ。
部室の扉をそっと締め私はその場を立ち去った。忘れ物はとれないまま、私は家に帰った。
その晩、私はジュンの事を考えていた。卓球に必死になったジュン。負けて悔しく泣いたジュン。なぜ急に卓球を一生懸命練習したのか?試合に負けたことは泣くほど悔しいことなのか?珍しく考え込んだ。その時、答えは出なかった。翌日以降、ジュンは普通に振る舞っていたが、私は気になってひとりで考え込んでいた。1ヶ月経っても答えは出なかった。
そのまま中学3年になったある日、自分なりの答えが出た。“なぜジュンが必死になったのか、わからないなら自分が経験してみよう” と。ただ部活は夏前に引退が決まっていたし、必死になるモノを何にしようか考えあぐねていたらそれはすぐに見つかった。
受験=勉強
大バカな私は偏差値40台。趣味もなかった(今でもないが、、、)私は何を思ったのか勉強を頑張ることにした。正直、部活ができなくなるので、部活以外なら何でも良かったのだ。そして私は勉強を頑張ってみた。赤点ばっかりだったテストは、少しずつ成績が伸び、夏休みは通っていた塾に毎日入り浸って勉強した。一日の勉強時間は学校と塾を含めれば18時間はやっていた。三食も、寝る間も惜しんで勉強した。その甲斐あって夏休み明けには、成績が急伸。親もビックリしていた。私も天狗になった。有名私立も公立も、このまま合格していけるのではないか!?バラ色の高校生活を夢みて必死に勉強を続けた。
年明け。4校受験した。
結果は、、、残念ながら第1志望は不合格で第2志望に合格!親も先生も喜んでくれた。1年前に偏差値40台だった私が偏差値68の高校に合格したからだ。周りからも奇跡だと言われた。周りから囃し立てられ、私は浮かれた。
そして、私は泣いた。
「あんなに勉強したのに、第1志望に合格できなかった。明らかに無理な雲の上の高校を志望して受験したワケじゃないのに」
「A判定ももらっていたのに」
「もっと早くから勉強しておけばよかった」
「苦手な国語と英語の読解問題をもっとできるようにしておけばよかった」
こんなとめどない感情が駆け巡った。本当の悔しさを知った。ジュンが泣いていたワケがわかった。
努力が報われなかったからだと痛感した。
だからジュンは泣いていたのだ。この時初めて私は本当の「努力」を知った。そしてそれが報われない悔しさも初めて知った。何に対しても無関心な私が経験した代え難い経験だ。
これを経験したことで私の心には大きな変化があった。今までは打ち込めるモノもなく、やりたいこともなく、漫然と過ごしてきたが、これからは自分で決めたことはやり抜こうと決心した。大学時代の、アルバイト、サークル、仕事。どれもテレビや雑誌に出演できるほど成功を収めてはいないが、周囲から認めて任せてもらえるレベルでやっている。努力の全てが報われるワケではないが、成功した時の達成感は何物にも代え難い‼️39歳なった今、人間として少しは成長できたと思う。
あの時忘れ物をして泣いていた同級生の姿を見たことが、その後の私の人生に大きな影響を与えた。本人はそんなつもりはなかっただろうが、ジュンには本当に感謝している。
人の気持ちの変化は、その後の未来を大きく変える。その言葉を胸にまた明日から何事も努力していきます。
最後に
25年経った今でも、なぜジュンが急に卓球を真剣にやろうとしたキッカケは教えてくれない。これだけは謎のままだ。
(好きな女の子に試合に勝ってから告白するつもりだつたのかもしれない⁉️)